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私の祖父は、鹿児島海軍航空隊の第12期海軍甲種飛行予科練習生でした。特攻隊の生き残りでした。
私が幼いころに病没しており、本人の戦争体験について生で聞くことはできませんでした。
祖母から聞いた話によると、もうすぐで特攻隊として出撃するところで終戦を迎えたそうです。
祖父は兄を戦争で2人亡くしていた為、そのことを気遣ってくれた上官が出撃の順番を後に回してくれたようです。
しかし、「(特攻で)どうせ死ぬのだからご飯は食べなくても良い」と、食べさせてもらえなかったそうで、祖父は痩せこけて復員したようです。祖母が涙ながらに語ってくれました。
特攻作戦は、命を軽視した本当に残酷な戦法です。当時の特攻隊の映像を見て思いますが、敵艦に体当たりというけれど、実際は目標にたどり着くまでに撃ち落とされ、それで命を落とす方が多いのです。たどり着ける方が珍しいくらいです。本当に無駄な死だと思います。
戦中は今より技術が発達していませんので、整備不良や事故などで命を落とす人も多いです。
航空機にしても搭乗員の命を守る防弾設備が劣り、交戦になれば銃弾を受けすぐに負傷することになります。軽量化ばかりに目がいきすぎたために肝心の防御機能は皆無。
特攻作戦を敢行しても、兵士が減るだけです。
将棋の駒も少なくなれば負けは必至です。命を軽んじた結果、敗戦に至ったように感じます。
当時青春真っただ中の10代・20代の少年たちが死を決めて出撃していった過去。
どんな想いを抱えながら亡くなったのか、考えれば考えるほど胸が痛くなります。
今の平和は、戦争で犠牲になった方々すべての人たちの上に成り立っています。
日々感謝するとともに、この平和を維持していくことが今一番大切なことだと思います。


予科練時代の集合写真




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