三式戦闘機「飛燕」
川崎 復元された三式戦闘機「飛燕」キ61U改「2016年川崎重工創立120周年記念展より」
三式戦闘機「飛燕」は、昭和18年6月に制式採用され、のちに本土防衛で活躍した陸軍の戦闘機です。

日本軍初の液冷エンジンを搭載した戦闘機としても有名な機体です。液冷エンジンとは、冷却を冷却水で行うエンジンのことで、一般的な風を直接当てて冷却する空冷エンジンよりも空気抵抗の面において有利でした。
ドイツダイムラーベンツ社製液冷エンジン「DB601」を国産化した「ハ40」を搭載する戦闘機として設計されました。川崎航空機の土井武夫技師の設計理論に基づいて、速度と運動性を両立し、高度で頑丈、かつ良好な高高度性能と重武装を備え、世界の水準に達した戦闘機と言われていたようです。

昭和18年の東部ニューギニア戦では、飛行場への爆撃や爆弾による被害により、一式戦闘機「隼」・二式複座戦闘機「屠龍」とともに壊滅してしまいます。
沖縄戦では、飛燕による特攻も何度も行われました。沖縄戦における陸軍特攻機980機のうち107機が飛燕による特攻でした。
改良された型も含めて、終戦まで使われていました。

飛燕部隊として有名な「飛行第244戦隊」は東京防空の要で、特攻攻撃を17回敢行した部隊として知られています。
しかし、実際飛燕を操縦していた方の証言はスペックとは異なっていたようでした。

飛行第244戦隊の小林戦隊長の著書「飛燕震天制空隊」「B-29対陸軍戦闘隊」には「上昇するごとに気温や気圧が下がり空気も薄くなる。米軍の大型爆撃機B-29の操縦席は完全気密室で平服でも平気だけれど、飛燕の操縦席ではそうではなかった。酸素ボンベを積んでも故障しがちで6000mあたりで苦しくなった。防寒のために電熱被服を着こむと、電圧が下がり射撃ができなくなり無線も聞こえなくなった(太平洋戦争研究会「武器・兵器でわかる太平洋戦争)より摘要)」と書かれています。

また、小林戦隊長の機体では10000m上昇するまでに一時間かかり、その間敵機は40,50分で東京の上空に達するようで、アメリカとの戦力の相違はかくも甚だしく、肉弾で性能不足を補っていたと証言されています。(光人社「陸軍戦闘機隊の攻防」より摘要)

また、荒蒔義次 元陸軍中佐は、「今では音速の壁に突き当たったり突破したからと言って大騒ぎしないが当時はスピードの向上こそが設計者が心血を注いだものであり、その機種が急降下して衝突したときどうなるかなどは少しも検討されていなかった。その当時には急降下速度は制限されその先について突っ込まなかった。だが、飛燕の優れた急降下性は素晴らしくスピードが出て壁に衝突してしまった。戦後外国の本を読んで、それがやはり音速の壁であったということが分かり、よくも助かったものだとあらためて首筋に冷や汗を流した(光人社「陸軍戦闘機隊の攻防」より摘要)と言われています。

もちろん飛燕の性能に対しては賛否両論ありますが、一言で評価できるものではなかったことは確かなようです。

敵機を一機でも多く墜とすために性能に細部までこだわる開発者と、命を乗せて飛び立つパイロット。
性能を重視するあまりそれを操縦するパイロットにとって必要な環境作りや、最優先に考えなければならない「命を守るための防御装備」に目が行き届いていなかったのではないかと思います。
開発側は性能にこだわってはいたのですが、パイロットが実際に乗ってみると様々な部分で欠陥があることが分かり、パイロットは徐々にそれに応じた対処方法を考えます。

元飛行第56戦隊長であった古川治良 元陸軍中佐の証言では、「昭和19年12月13日約70、80機からなるB-29が名古屋地区に侵入した際、はじめての高高度における戦闘を体験した。敵機の高度9000以上。これに対してわが飛燕は酸素吸入装置の不備、戦闘砲の故障、操縦桿の油の凍結などの弱点を暴露。上昇高度は限界に達し、操縦桿は重く、到底追撃ができない。もちろん戦果は皆無。翼砲20ミリ2門と防御をとり、機体を軽くしなければならなかったし、酸素発生剤によって酸素の供給を増やさねばならなかった(2017年丸1月号別冊三式戦闘機「飛燕」より摘要)とあります。

戦局が悪化する中で、一日5機のペースで作られていたことは当時では、並外れたことであったそうです。
日本とアメリカの戦闘機で大きく異なる点は、人命を重視するかどうかだったと思います。
この記念展を通して、三式戦闘機「飛燕」にも悲しい過去があったことを忘れてはならないと感じるとともに、戦争の爪痕を思い起こすためにも、日本で唯一の飛燕の実機を残していくことが大切だと思いました。

2016年「川崎重工創立120周年記念展」の展示物の写真を掲載します。

東京陸軍航空学校 熊谷陸軍飛行学校

熊谷陸軍飛行学校アルバム 聖訓五箇条
ハ140発動機(搭載されていた実物)
水・滑油冷却器

遠泳演習 遠泳演習最後の日
配電盤(復元器)
ハ140過給機


【引用・参考文献】
・「武器・兵器でわかる太平洋戦争」太平洋戦争研究会編著
・「丸」2016年4月号 潮書房光人社
・丸2017年1月号別冊三式戦闘機「飛燕」 潮書房光人社
・丸メカニック「三式戦闘機飛燕」潮書房
・川崎重工創立120周年記念展パンフレット・パネル展示
・「陸軍戦闘機隊の攻防」 光人社


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